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メキシコ公演を終えて(2018.08)

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メキシコから帰国しました。2016年から行ってきた《Piece with gaps for each other》の公演を、当初から鎌倉→NY→メキシコでやるつもりだったのですが、それが無事に叶いました。あと、レコードのリリース記念イベントも行ってもらいました。
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旅の前半はTulumという街に滞在して、そこでコラボレーターのMartinがジャングルの中に建設中のスタジオでもリハーサルしたのですが、蚊のあまりの多さに辟易しつつも、ジャングルを体験できたのは良かったなぁと。Silent Walkといって、地図も持たず言葉を発することなく五感だけを頼りにジャングルのなかを歩いたのが特に印象に残ってます。あと、こういう環境の中でマヤの人たちと触れ合い、彼らの世界観にふれることができるのも良かった。
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とはいえ「メキシコ流」はかなり独特で、よく言うとHappy-Go-Luckyだし、悪くいうと段取りもなくて常に遅れる。Martinは「メキシコではパーティーに呼ばれたら2時間遅れで行くのがマナーだ」(つまり相手に余裕をあげるってこと?)って言ってるし、アースラがスムージーを注文したら、店員が材料の果物の買い物に行ってから作り始めたのですごく待たされた、という話があったりして。
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今回の旅の前後に読んでいた本にこのような一節がありました。

 「日本人とユダヤ人」の共通点がもしあるとすれば、「清潔」を好むことだろう。清潔とは何か。それはおそらく、身体や精神についた異物を排斥する思想、異物と共生することを拒否する感覚だ。
インドの旅は快適ではない。一日の汽車の旅をおえて、宿をみつけて、髪をぬらして最初に手で軽くしぼると、ぼとりとどぶねずみくらいの分量の汚物が洗面所におちる。毛穴という毛穴は泥とほこりでみたされる。ぼくたちはほとんどこのように、モノと共生するということに耐えられない。
〜 真木悠介「時間のない大陸(インド)」『気流の鳴る音』 200p

もっともらしく今回の旅を振り返ると、メキシコのそこそこ過酷な環境で、自分がどれだけ「異物との共生」できるか、「修行」して来たという感覚。ジャングルの中で汗だくになって蚊に襲われながら、メキシコ流の行き当たりばったりで先が読めないけど楽観的なノリに付き合い、胃腸の中でも「異物との共生」を試みて、うまくいけばお腹を壊さずに済む(偶然だけど、今回お腹をくだしたウィルはユダヤ人で、なかなかの潔癖症)。
もちろん、自分自身も他人からすれば「異物」なわけで、情報を整理して物事を段取ったり、掃除しながら自分の居所を清潔に保とうとする僕を見て、マーティンたちは多分「ここではそうは行かないよ」と思いながらも、そういう僕を受け入れようとしてくれている。僕らが好むような繊細さは、和食にハバネロソースを掛けて食べかねないようなメキシコの風土の中で、どれだけ意味があるのかよくわからない。
自分の名前がついた作品をロマン主義的な意味で出来るだけ思い通りにコントロールして制作して、その経済的価値を資本主義的な意味で最大限に高めたいのであれば、すべてがギリギリになって決まるから詰めが甘くなってしまうような場所で作品制作しないほうが良いけれども、自分がこの3年間メキシコに通って少しばかり身につけたのは、見通しの立たない状況のなかでも常に楽観的に、周りの人達と温かい関係を築きながら共生していく感覚なのかな、と思うのです。そして今回の作品のタイトル《Piece with gaps for each other》とは、まさに「異物との共生」だったなぁと腑に落ちました。
というわけで、メキシコ流の「いい加減さ」を内包した人間に少しばかりなって帰国した気がしますが、どうぞ大らかにお付き合いください。
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